◇病名の宣告を考える(2003年11月5日)

 

  病名の宣告について考えてみたいと思います。

 

 ボクは前回の入院の際、バリウム造影と血管造影の2つの検査で、小腸に腫瘍があると言われました。腫瘍は色んな種類があって、良性もあれば悪性もあるし、出来方やタイプによって呼び名は違いますが、或る意味、「腫瘍がある」と言われたときは、ガン宣告の一歩手前みたいな感覚でした。

 

 そのときの自分の感覚を振り返ると、検査を受ける前から、通院していたM医師に、「そういうたぐいのものが見つかるかもしれない」ということを言われていたこと、また、小腸の場合、悪性である確率は低いという予備知識を備えていたので、聞いたときは比較的冷静でした。とはいっても、検査で腫瘍の存在を指摘された時は、嫌な心持ちでした。「ある」となれば、その次は悪性か良性か?という結論に執着してしまうのですから。

 

 問題は本人よりも周囲への影響です。嫁さん、両親はかなりショックを受けたようです。身内といっても、その心持ちを推し量るというのは、結構難しいものがあります。本人に対して気遣う部分があってあえて表情に表さなくなります。心中に押さえ込むあまり、かえって本人以上に精神的な苦痛があったのではないかと思います。今回の場合、ボク本人は腫瘍部分の自覚症状が無かったことと、手術を受ける決意をした段階では、気持ちの上で開き直っていますからどんどん冷静になっていきました。しかし、手術当日を迎えるまで、家族の不安はむしろ逆に膨らんだのではないかと想像しています。

 

 もし今回の手術で腫瘍が見つかれば、その後は病理検査に組織が回され、どういうたぐいのものか、という診断に移るはずでした。が、結果として腫瘍はありませんでしたので、それには至りませんでした。

 

 今度は今度で「無い」となった以後の話。

家族は安堵ですよね。「無かったんだからいいじゃない」と。でも、ボク本人は色々複雑でした。もちろん、無かったことは結構な事です。が、苦しい思いをして受けたバリウム造影や血管造影の各検査は何だったのか? 特に血管造影で映し出された「腫瘍濃染像」は何だったのか? 前回退院時に出された診断書に、はっきりと「非上皮小腸腫瘍」と書かれたものは何だったのか? 今度退院するときの診断書には、その経過を含めて、何と書かれるのか?

 

 非常に単純な話ですが、各種造影検査における確定診断の限界を、検査前にきちんと聞いておきたかったというのが正直なところです。特に血管造影の「濃染像」が見られた場合には、確実に腫瘍があるのか? それとも、場合によっては違うこともあり得るのか。もしくは、濃染像が認められても存在確率としては、例えば70%とか、確定できない要因について、もっと詳しく説明を聞いておくべきだったと思っています。

 

 血管造影検査の結果で、「非上皮小腸腫瘍の疑い」程度にしておいて頂ければ良かったかなと。「確定診断は開腹・摘出しなければ下すことが出来ない」というならば十分に納得出来たと思います。

 

 今回、再入院の前の初回外来でK外科医長から「もしかすると腫瘍は無いかも知れません」と、言われた時、ごく自然にその話を聞くことが出来ました。ただし、上記のように、ボクの腫瘍に関する経緯は、自分だけでなく、周囲の人の心に長く重たくのしかかるものを残した事だけは確かです。

 

 ちまたで「ガン宣告」についていろいろと取り沙汰されていますが、病名の宣告というものは、一日にしてなるものではなく、病気の種類や、発症する部位によっては確定されるまでにずいぶんと時間がかかり、その間の心理的な動揺を、本人だけでなく周囲の人間にも暗く、重たく、波及させるものなのだということをまさに実感しました。

 

 今日、「自分は至って健康である」、というあなた。病名宣告は、ある日突然やってきます。しかも、潮が満ちるようにじわじわと迫り来るときもあれば、落雷のごとく突然であることもあります。さあ、そのとき、自分は,家族は? どんな心の準備が出来ていますか?

 

 考えておいて損はないテーマだと思います。

 

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