2004年6月24日:又しても・・・

 6月20日の日曜日、再び自宅近所、地元のC病院に救急搬送されました。こんな短期間に2度も救急車の厄介になってしまうとは・・・

 今回は、前回田無の実家で発症したときとは若干違う症状で腹部の激痛が出ました。お腹が異常に張るという感じよりも、痛みがひどかったんですね。日曜日の夕方、何となく具合が悪くなり、ジリジリと痛みが強くなってきました。嫁さん、息子とも驚いてしまい、「救急車呼んでくれ」とボクが叫んだので結構焦ってしまったんでしょう。

「タクシーじゃダメなの?」・・・とは嫁さん。
でも、「タクシーじゃどうにもならん!」状況でした。
ということで、自分で119番に電話して、状況説明。救急車が手配されました。

 5分ほどで救急車が来て、アパートから表の通りまで30mほど、痛い腹抱えて歩いて行きました。まあ、歩けるんだから? と、思われてしまうかもしれませんが、アパートが入り組んだところにあるので、そこまで救急車が迷わず来ることよりも、こっちから迎え出た方が早いということで。

 嫁さん、息子が付き添って、C病院に。救急車でもなんやかやで10分ぐらいかかったかな?

 日曜日なので、当然K外科医長は不在。けど、K外科医長所属の同じ大学病院の医局から臨時当直で来ていたH先生が運良く消化器外科の先生だったのでまずは一安心。ストレッチャーごと救急車から降ろされて救急処置室へ。まず左腕に末梢点滴の留置針。輸液ルート確保して、三方活栓からブスコパンという抗コリン剤を注射されました。お腹の手術する前に肩に筋肉注射するヤツと同じですね。

 本来、麻痺性の腸閉塞にはブスコパンは禁忌なんですが、何とこいつが劇的に効きました。今回、腹部膨満がさほどひどくなかったので、イレウスチューブ挿入には至りませんでした。ブスコパンを打ってから15分ぐらいで痛みがすーっと引いてきました。我慢する時間が長すぎたら、多分前回田無で発症したような症状になって、過呼吸となり、それが呑気症的に消化管へ呼気をどんどん送ってしまい、もっと拡張していたかも知れません。(看護婦長後日談)

 その後、痛みが再発することなく落ち着きを取り戻し、夜8時過ぎに病室へ。

 夜中にはガスも便も出てくれて一安心です。

 翌日6月21日月曜日。K怪我医長とS女医の朝回診。「辛いですけど、また少し絶食して下さい。薬はN医大で処方された物を指示通り呑んで下さい。その時だけ若干の水分OKです。あと、飴玉ぐらいはいいですよ。」というパターンで、再び絶食開始。

 回診後、嫁さんにPCや着替えその他を持ってきてもらいましたけど、サイト更新する気になれず、せいぜいミヨシ書き込みと数通のメールだけでやめておきました。

 今日、6月24日より、水分フリーとなり、夕方から半消化態の経口栄養剤を1本。今回はエンシュアリキッドではなくて、大塚のラコールというものを1本呑みました。まあ、ちょっと余ったるいミルクみたいなもんですが、味付け用にココアとかコーヒーフレーバーの粉末があって、ココア味を飲んだららまずまず飲める味でした。ラコールのほうが若干脂肪成分が少なめなんだそうです。まあ、今後のバリエーションちゅうことでね。

 まあ、今日までサイト更新しなかったのは、この病気と今後、自分がどうつきあっていくかってことを色々考えていたんです。N医大のT先生は第一選択で小腸鏡検査をしてくれなかったし、そうこうしているうちに、また今回みたいに救急車のお世話になってしまい、こんなこと繰り返すんじゃ、社会復帰もなにもあったもんじゃないと。色々考えてました。

 実は明日、一旦外泊の形で自宅に戻り、明後日は2度目のN医大外来を受診します。前回処方された薬のこと、今回の救急入院のこと、再度小腸鏡について相談するということと、漢方治療について。このあたりを、今回の経過情報を持ち込んだ上で相談する予定です。

 治らない病気なら、つき合い方を考えるしかないんですが、今回の入院でひとつだけ良いヒントが見つかりました。

 腸閉塞には、器質的腸閉塞と、機能的腸閉塞があります。ボクの場合は後者の機能的腸閉塞になります。で、機能的腸閉塞にはさらに、麻痺性腸閉塞と痙攣性腸閉塞があります。これまで長期にわたって、ボクの治療はどちらかというと麻痺性腸閉塞という診断で、主として腸を動かす薬を処方してもらって経過を見ていましたが、今ひとつよくなりませんでした。ところが、N医大のT先生の見立ては、過敏性腸症候群による痙攣性便秘と下痢、ガス膨満を不規則に繰り返しているという診断でした。もちろん、開腹手術経験があるので、器質的要素は否定はできないのですが、自分の体における感触と、今回、救急搬送された時に打たれたブスコパンの効果が劇的だったので、ひどくならないうちにブスコパンに相当する薬剤を自己投与出来れば、というのがヒントになりました。また、入院してるC病院で長いことお世話になっている看護婦のIさんが、実はボクよりも長い年月、入退院を繰り返す術後腸閉塞の経験をお持ちで、そのエピソードが、もう一つのカギになってます。なんと5年間に十数回もの入退院を繰り返されたと言いますから、凄いですね。以前、弟の友人E君の壮絶な腸閉塞経験について書きましたけど、I看護婦のご経験もまた、すごいもんです。

 このことについては、追々また、書いていきますね。

 ひどくなるちょっと前に、自己管理で痛みを押さえることさえ出来れば・・・というのが、今後の自己管理のためには非常に大きなキーポイントになりそうです。S女医には、そのプランを相談しました。薬剤部にも話が行って、明日K外科医長が同意してくれれば、今度の退院後の自己管理は随分と光明がさしてきそうです。


つづきはまた。

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