○2003年10月23日:病気の経過を振り返る(2003年9月8日入院〜10月8日退院まで)

  9月8日、普通に出社して朝のミーティング。終了後に湘南台のお客さんに向かう。特に体調変化なし。

 湘南台駅前のミスタードーナツで昼食。ポタージュスープとドーナツ2個。軽めに済ませる。

 代理店の営業さんと技術さんと食後合流してお客さん訪問。ちょっとお腹が張ってる感じ(汗)

 無事現地調査と打合せ終了し、その後代理店のお二人と別れる。自分は次のお客さん訪問のため、藤沢へ出て湘南新宿ラインで恵比寿へ。この電車移動のときにさらにお腹が張ってくる(汗)。

 恵比寿で日比谷線に乗り換え。ちょっときついなあ、と、ベンチで一休み。1本電車をやりすごして次の電車に乗って中目黒へ。

 中目黒に着いたころにはお腹パンパン。駅のホームのベンチで休んだけど、ちょっとヤバイ感じ(冷汗)

 こりゃダメだと、訪問予定のお客さんと、会社に状況を電話して早退を決める。

 この後の帰路は辛かった(泣) 電車に乗る前にトイレに行ったけど、出ない(泣)。ガスが出ないのが辛い。仕方なくとにかく東横線で渋谷へ出て、ヒーヒー言いながら田園都市線に乗り換え。夕方5時を回って電車が混んでる。急行中央林間行きに乗ったけど席など空いてない。つり革にぶら下がって我慢我慢(激汗)。たまぷらーざでようやく席が空き、座る。が、お腹が張っているので座っても苦しい(泣)。つきみ野からの徒歩は絶対無理と思って終点の中央林間まで行ってしまう。タクシー2メーターで自宅へ帰れるからだ。

 タクシーで自宅アパートに着いて即、横になる。うつ伏せで寝て、ガスが出ればいつもなら収まるのだけど、何故かこの日は全くダメ。嫁さんに頼んで通っているM内科に電話を入れてもらう。症状・状況を伝えてもらって、検査入院を予定していたC病院への緊急入院手続きの準備をしてもらう。

 この日は月曜日だったけど町田に住む義理の兄がたまたま休みで、車で送ってくれるとのことで、まず一旦M内科へ。先生、お腹の状態見て、「我慢のしすぎだ」と(汗)。即、義理の兄貴の車でC病院へ。

 K外科医長と消化器外科のS女医が救急処置室で触診、問診。即X線モニター室に移動して、イレウスチューブ挿入の処置に入る。左の鼻の穴にキシロカインを塗って、挿入処置開始。ノドの先までは意外と簡単に入ったが、食道・胃をすれる時の感触がなんとも不快で、昼に食べたものほとんどを嘔吐。モニター画面を見ながら先端を送るが、なかなか胃の先に進まない。ようやく胃を通過して十二指腸へ。十二指腸を過ぎて小腸に入り、そこで先端のバルーン(風船)をふくらませてイレウスチューブ挿入完了。いや〜、参った(激汗) 2階病棟のI看護婦さんが迎えに来てナースステーションへ。そこで吸引装置にイレウスチューブを繋いで吸引開始。体重を計り、抗生剤のテスト注射、留置針による点滴が開始されて206号室のベッドに入ったのは夜の10時過ぎだった。チューブの違和感はあるけど、とにかく疲れたので睡眠は深かった。

 

 これ以後、11日間絶食となる。点滴は各500mlで、朝ヴィーンD1本・昼間アクチット2本・夜間アミノフリード1本の計4本を各6時間で落とす。

 絶食そのものの辛さはあまり無い。入院3日目の朝の回診でS女医が「ノド、乾きませんか? 少量のスポーツドリンクと飴ぐらいなら大丈夫ですよ」と許可が出て、嫁さんにDAKARAと榮太楼の黒飴を買ってきてもらう。

 入院9日目に当初予定していた小腸バリウム造影検査を受けた。

 担当は消化器内科のK医師。イレウスチューブが挿入されているので、それをそのまま使って60%程度に希釈したバリウム溶液を徐々に注入しながらX線モニター室で造影開始。おそらく数十枚規模でX線撮影がなされた。

 入院11日目、朝の腹部レントゲンで小腸内の減圧が確認され、昼過ぎにようやくイレウスチューブが抜かれた。ふぅ〜・・・(安堵)。

 この日夕方、嫁さんとおふくろ立会でバリウム造影検査の結果をK医師より聞く。「小腸に腫瘍の影がありますね」。通院していたM医師の予測が当たった。腸管の外側にあるので、さらに詳しく調べるにはアンギオ検査が必要と言われた。その検査の内容を聞いてみると、足の付け根の動脈からカテーテルを刺して、小腸を栄養している血管に造影剤を注入して腫瘍の像を映し出すという(濃染像と言うのだそうです)。11日間の絶食で、絶食そのものよりも体重が54キロにまで激減していたので、そんな状態で動脈に針を刺して、検査後12時間も足を固定されるなど、ちょっと即には受けられそうにない、と、言ったところ、「じゃあ、流動食から開始して、少し口から物を食べて、気力回復したところでやりましょう」、ということで、その翌日の朝から流動食開始となった。

 幼なじみのH君の携帯にメールを送る。多忙なのにわがまま言って、見舞いに来てもらうことにした。「途中のコンビニでピースミディアム買って来て」と、さらにわがままを言う。

 夜、8時前、面会時間終了ぎりぎりで来てくれた。とにかく、チューブが抜けて最初にしたかったのが煙草を吸うことだった。物を食べるよりも、である。H君、面会終了時間ぎりぎりに煙草を持ってきてくれて、4階のテラスで久しぶりの一服。正直、煙草の味としては不味かった。が、チューブが抜けて煙草が吸えた、という事実は自分にとって凄く充実したことだった。

 その後流動食から始まって日ごとに食事が硬い物に戻されていく。流動→三分食→五分食→七分食→全粥→常食。とにかくよく噛んで味わって頂いた。入院前、塩気の無いお粥は食べられなかったが、11日も絶食すると、何を食べても美味い。初日の重湯でさえ、涙がでるほど美味かった。塩気の無い粥は、オカズの味をかえって引き立てる。その後の入院中、食事はひとつも残さずすべて完食した。

 久しぶりに外出許可をもらい、いつも通っている床屋へ。床屋のマスターと色々話しをする。仕事の話に至ると「と〜るさん、自分で商売やりなよ。手続きに必要なブレーンは紹介するから」と。いつもこの話になる。

 去年の4月、香港に行ったのも、実際には自分で商売始めてみようかというきっかけがあったから。残念ながら頓挫してしまったけど・・・今度はぼちぼち真剣に考えるかな。

 土日にはミヨシの仲間や、前職時代の上司、同僚らが見舞いに訪れてくれた。これもミヨシに書き込んだり、携帯メールでわがまま言って来てもらった人も多かった。でも、やっぱり嬉しいなあ。

 高校時代の友人で宮城の小学校で教師をしているS君が、突如来てくれるとメールがあった。先日、わがまま言って来てもらったH君と一緒に、夕刻、やってきてくれた。宮城から遠路はるばる新幹線に乗って来てくれた。見舞金まで包んできたけど、交通費など考えて気持ちだけ受け取り、「その金でH君と二人でこのあと飯でも食ってきなよ」とお返しする。入院しているC病院から徒歩3分のところに、中学のブラスバンド部の同級生M君が経営者をやっている欧風レストランがある。店の名前はラ・パレット。ここに電話を入れてH君・S君2名分の席を予約する。「実は俺はC病院に入院中なので行けない」と言ったら、後日、見舞いに来てくれた。このM君と自分、S君・M君は不思議な縁がある。H君は小学校時代、M君の親父さんに腹膜炎のオペをやってもらっている。S君も小学校時代の主治医はM君のお父さん。ボクが中学の時に盲腸の手術を受けたのもM君の親父さんがいた病院だった。M君の親父さんは現在、東京武蔵野市で小児科の開業医をなさっている。著書や講演なども多く、小さな子供を持つお母様方は、結構知っている人が多い。牛乳を否定し、薬は極力使わずに自然食でアトピーを治して行くという。

 H君・S君はM君のお店でディナーコースを楽しめたようだ。

 食事が普通に食べられるようになって、お風呂にも2日に1度入れるようになった。体重も57キロまで戻った。毎朝朝食後、腹筋・腕立て・ブリッヂ・柔軟をやり、その後1F〜4Fの階段の上り下りを10往復の運動をした。

 10月1日、アンギオ検査当日。検査は夕方4時から。朝食後に剃毛。看護婦さんは慣れたもんだよね。その後風呂に入る。午後、検査前に導尿カテーテルの挿入をするという。これが今回の入院で一番嫌だった。

 表面麻酔のキシロカイン程度じゃ気休めにもならない。大騒ぎして痛がった。結局無理ということで、検査室に入ってから、鎮静剤注射後に挿入することになった。

 造影検査は、以前C病院におられて今は座間市で開業されているM医師が出張されて行われている。

 鎮静剤を打ったあとはもう記憶がない。動脈に穿刺されたことも、導尿カテーテル入れられたのも覚えていない。最初からそうしてくれたらよかったのに・・・

 検査2日後、消化器内科のK医師から結果を聞く。嫁さん、おふくろ立会のもと、話を聞いた。小腸非上皮腫瘍の濃染像が映し出されていた。良性・悪性・進行性・非進行性の区別は、腫瘍摘出して病理検査しないことには診断出来ないとのこと。まあ、この時点で「いずれは切らなきゃならないだろうなあ」と、覚悟はしていた。

 しかし、仕事にケリをつけないといけないので、一旦退院させてもらうこととした。

 10月4日、外出許可をもらって、息子の幼稚園の運動会へ。朝食後、久しぶりに自宅に帰り、自宅でシャワーを浴びて、原チャリで運動会へ。嫁さんは今年、幼稚園の役員をしていて早くから園児の誘導やらで走り回っていた。

 年少・年中・年長と3年間の幼稚園も今年が年長で最後。3年間の成長って、凄いよね。遊戯系が確かに上手になった。天空の旗という両手に旗を持ってフォーメーションを変えて行くマスゲームは鮮やかだった。年少・年中の時とは明らかに違い、統制の取れた演技をして、とけ込んでいる。リズム感も去年までと違う。普通に家で生活していうだけだと、意外とそういうことに気づかないが、入院1ヶ月でしばらく姿を見なかったこともあって、息子の姿を見ているうちに無性に泣けてきた。

 10月8日、晴れて? でもないけど、退院した。嫁さん、おふくろが来て、久しぶりの外食。M君の経営するラ・パレットでランチコース。サーモンを選んだ。おふくろだけハウスワインを。ボクは我慢(苦笑)。やはり病院食と違って味。歯ごたえがある。

 帰宅して、ちょっと疲れたので横になる。さあ、明日はいよいよ会社へ顔を出す。

つづきはまた!

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